心と体

2014年5月17日 (土)

屈託の無い笑顔

この間、熱を出した後から体調がなかなか戻りません。
風邪は治ったかと思いきや、喉が腫れたり咳が続いたりします。
免疫力が低下している様な感じです。

古い話ですが、20代の頃、トラのバイトをたくさん掛け持ちしていて、長丁場のオラトリオの演奏会を週に2〜3回のペースでをやっていたら、過労になっていたらしく体調を崩した事がありました。
人生の上でも過渡期というか、問題を抱えていて精神的にもとてもきつい時期でした。

そんなある日、高熱が出て全身に不気味な発疹が出ました。
何かの疫病になってしまったのだろうか、と生きた心地もしない感じで病院へ行きました。
医師から病名を告げられた時は唖然…なんと水ぼうそうに患かっていたのです。
ピアノのレッスンなどで子供達との関わりがあったから感染したのかと憶測するだけで、どういう経路で水ぼうそうになどなったのかは分かりません。
子供がかかる病気の五本指に入る水ぼうそうですが、子供の頃には近所で水ぼうそうになった友達とわざわざ遊んでも全くうつらなかったのに、よりによって大の大人になってかかるとは…。

過労とストレスで体力と免疫力が落ちていたからだと医師から言われ、生身の人間なんだから自分の体力を過信をするなと、こっぴどく叱られました。
高熱でフーフー言ってるのに、掛かり付けの親しい先生だから容赦ないです。
でも父がいなかった私には、父親代わりに心配して本気で叱ってくれた先生の気持ちが嬉しかったのを、今でもよく覚えています。

水ぼうそうは思っていたより深刻でした。
その後、半月間は起きる事さえままならない寝たきりの状態、更にその後の半月間も寝たり起きたりの生活、まるひと月が床についた生活でした。
日常生活から仕事に復帰するまで2ヶ月も掛かりました。
母親は食事の世話だけはしてくれたのですが、それ以外は毎日ひとりで天井だけを見ている寝たきり状態の間はとても辛かったです。
高熱のせいでその天井もまるで金魚鉢を覗いて見た景色の様に歪んでいて、周囲の音もエコーマイクを通した様に二重、三重に聴こえました。
そんな時に、なんだか夢とも幻とも区別がつかない、変な光景だか幻想だかを見ました。

どこかの河原にいて私は河原の石を積み重ねていました。
周りには蟻塚の様に積み上げられた石の塔があちこちにありました。
船の渡し場があって白い着物を着た人が列を作って並んでいました。
皆、押し黙っていて誰も話さず、無表情で並んでいました。
私もその列に一緒に並びました。
船頭が船を渡し場に着けると、列はぞろぞろと船を目指して歩きました。
船着き場の桟橋に上がって歩くと列が混み合って、誰かが私にドンとぶつかり、私は岸の上に落とされました。
もう一度列に並ぼうとしたら、白い着物を着た女の人に、『ここはあんたの来る所じゃない』と睨みつけられながら言われました。
列に並んでいる人が一斉に私の方に振り返り、私を睨みつけてはまた船に乗って行きました。
呆然として、どうして良いのか分からず、ただオロオロしている間に船は出航して霧の中に消えて行きました。
私はひとり河原にいて霧のかかった河を見ていました。
ふと、我に返るといつもの天井がありました。

その日を境に病状は好転して行きました。
あれは何だったのか今でもよく解りません。
賽の河原にまで行っていたのでしょうか!?
それから*十年、こうして今を過ごしています。
今も心の中にはたくさんのものを抱えて。

唐突ですが、幸わせとは何なのでしょうか?
自分の望みが叶う事?
ひとつの要素ではあると思いますが、全てでも無い様な気もします。
何故なら、自分の人生なのですから自分の努力次第で望みを叶える事は可能です。
強いて言えば、出来る事だけをやっていればいつでも望みは叶うのだし、これを幸わせとしてしまうのは薄っぺら過ぎる様に思われるのです。
私の幸わせとは…、私がよく口にするのは『屈託の無い笑顔でいる』なんてセリフですが、多分これが私にとっての幸わせなんだと思います。
自分も、大切な人も、命ある全てが屈託の無い笑顔でいて欲しい、本心からそう思っています。

さて、私はその為に何を成すべきか、生涯に渡っての課題なのでしょう。

今の体調はあの変な幻を見た当時に近いものを感じます。
その頃と違うのは今はもう若くはないということ。
確実に年を取っているのですから、同じ体力はありません。
叱りつけてくれた掛かりつけ医の先生ももういません。
自分がしっかりしなくては。
笑顔は免疫力もアップするそうです。

大切な人も、命ある全ての存在も、そして私も、屈託の無い笑顔でいられます様に。

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