随筆

2014年5月 3日 (土)

随筆『人間』後記

『人間』はこちらでは初めて書いた随筆です。
これは実話からのものです。
高齢化社会となりヘルパーさんの介護を受けながら暮らしているお年寄りがたくさんおられます。

残念ながら、高い志で以て頑張っておられるヘルパーさんという職業全体としての価値を損なう様な悪質なヘルパーが少なくないのも現状です。
認知症でどんな扱いをされても、そのお年寄りには分からないし、お年寄りとヘルパーの二人きりの密室で起きた出来事は誰にも知られません。
だから何をやってもバレなきゃ良い、ってそんな馬鹿な話はありません。
人間として『あなたはそれで良いのですか?』と問い掛けられた時、その人は何を思い、どう答えるのでしょうか。

どんな職業でも誇りと誠意を持って働いたら、その見返りとなる金銭を得た時にはより喜びがあると、私は確信しています。
何故なら、人は他人には嘘をつけても自分には嘘はつけないからです。

そうです。
私たちは人間なのです。
だから複雑で、しかしシンプルなのです。

ずるい事をして得た物というのを自分はしっかり解っています。
目先の利害の損得で実利ばかり追い、一時は得をしたとほくそ笑んだとしても、人間には必ず誰しもが良心を持っているのですから喉元過ぎたある日、その良心と対峙する時が来るのです。

真っ白い半紙にポタリと落ちた墨を消すことが出来ない様に、心に付けてしまった後ろ暗い事実は消せません。
どんなに開き直っても影の様に付いて来る良心の呵責に耐えきれず、遅かれ早かれいつの日にか自滅するのが人間です。
そして、それに相応しい現実の現れを伴って苛まれる事によって、人生のツケを返さなければならなくなります。

一見すると、悪い事ばかりに思えますが、しかし、これは人間の本質が善であるから良心の呵責に苛まれるわけで、即ち人間は捨てたものではないという証明ともなります。

私は人間を信じたいです。
会話や対話、時には議論でも、たくさんコミュニケーションを取って理解を深めたいです。
相手が何を考え、どんな気持ちを持ち、どう今を生きているのか、その人となりを理解し、人間としての尊厳を大切にし合えたらきっと心から笑い合える、素晴らしい信頼関係が生まれるのではないでしょうか。
一方通行の発信ばかりでなく、パーソナルスペースでの面と向かった距離で会話のキャッチボールをする事はとても大切です。

空想や憶測という事実無根の判断では永久に相手を理解する事は出来ません。
実存する人間同士として、勇気を出して話掛けてみて下さい。
きっと無限の未来へと漕ぎ出す事が出来るでしょう。
その船の舵をとるのが真心と誠意であれば必ず相応しい結果が還る、という因果応報の法則もありますし。

やった事にはやった事に相応しい結果が付いて来ます。
努力は必ず様々な形となって報われるのです。

そして、因果応報の最も怖い法則は、やらなかった事はやらなかった結果、何も変わらないということ。
もし何かで悩み、現状が苦しいという事が有ったら、本心では行き詰まりを感じつつも後込みをして何もしない、という選択がその現状を変えない因果となって、苦しんでいるという場合もあります。
宇宙の秩序は流動です。
全ての事柄が動いています。
とどまる事は宇宙のリズムに抗うわけですから、秩序を乱せば様々な波及が生じます。
宇宙のリズムでは動きが止まるとは、即ち『死』、つまり終わりです。
権力の座に居座る為にたくさんの命が失われるのも、宇宙という大きな観点からすれば至極当たり前なのでしょう。
宇宙のリズムは至ってシンプルなのです。
私たち人間も宇宙の秩序の中のたったひとかけらの存在にしか過ぎません。
しかし、ひとかけらが皆で創る宇宙ならば、信じ合い、愛し合い、慈しみ合って存在したいものです。
重たい話になっちゃったので最後に、宇宙のリズムについて以前に詠んだオチャラケ短歌を添えさせて頂きます。


◆愛してる
このまま時を
止めてくれって
心臓も
止まるんですが


お後がよろしい様で。。。(笑)

 

ご意見や反論などのキャッチボールは大歓迎です。
我こそはと思われる方は、どうぞコメント欄へお願い致します!

随筆・人間

 

『人間』

 

あるところに、一人暮らしのおばあちゃんがいました…


体が悪く手や足がうまく動かせません。
それでも杖をつきながら頑張って部屋の中だけは歩いたりします。
でも、家事は自分ではすることが出来ません。
お掃除、お洗濯、お料理、お風呂へ入るのも着替えをするのも、ホームヘルパーさんにやって貰います。
それでも毎日、お家に来てくれるヘルパーさんと、気さくに笑いながら一人暮らしの寂しさも無く、楽しく暮らしていました。

そんなおばあちゃんも80歳を過ぎた頃から物忘れが酷くなり、お医者さんの診察を受けました。
認知症と診断されましたが、治療薬を飲みながら元気に暮らしていきました。

そして、数年が経ちました。

今日も、おばあちゃんは元気です。
ニコニコと笑顔が絶えず、ヘルパーさんと楽しくおしゃべりをしながら。

おばあちゃんの生きている世界では、いつでも夢が溢れステキな花咲く春なのです。
カレンダーや時計が読めなくても、テレビではいつも楽しい番組がやっていて、のんびりテレビを見ながらウトウトしたりして。
三度の食事も優しいヘルパーさんが見たことの無い珍しいご馳走を出してくれます。
『こんなの食べたことないわぁ!初めて食べたぁ!』と無邪気に喜んで、楽しく嬉しそうに“珍しいご馳走”を口に運んでいきます。
『ありがとう』と何度も大きな声に出して。
おばあちゃんの住んでいる世界は優しさに溢れた幸せな世界なのです。

ある日の事です。
キッチンのフライパンに、ソテーしたお魚がフライ返しと一緒にほったらかしにされていました。
お昼ご飯のおかずの半分なのでしょう。
お魚はお皿に移してラップをかけて冷蔵庫にもしまって貰えずに、フライパンの中で干からびていました。
焼きたての芳ばしい匂いと湯気をあげていたあんなに美味しそうなお魚だったのに、見る影もありませんでした。
おばあちゃんはキッチンの上にはもう関心がありません。
つまみを捻ってガスを点けるやり方も忘れてしまったのだから。

おばあちゃんのお手伝いで買い物の品物を届けに来た家族が、フライパンに取り残されたお魚を見つけました。
普通の家庭では考えられない光景に胸がつまりました。
疑うという事を忘れてしまったおばあちゃん。
人を憎んだり恨んだりする事もおばあちゃんの世界にはありません。
目の前に出された“珍しいご馳走”を嬉しそうに食べるのだから。
それが朝から夕方までフライパンの中にほったらかしにされていた干からびたお魚でも…。

また、別のある日です。
家族がお医者さんのお薬を届けに来ました。
ついでに、お昼時なのでおばあちゃんの大好きなカキフライを買って、ヘルパーさんの献立にもう一つおかずを添えて貰おうと思いました。

おばあちゃんの家に入るとヘルパーさんは帰った後の様でした。
テーブルの上にはごはんの食べ残しがありました。
食器もそのままほったらかしでした。
おばあちゃんにお昼は食べたの?と尋ねると、『もう食べたよ!』とニコニコ顔で返事が返ってきました。
テーブルの上では飲み残しのインスタント味噌汁、レンジでチンしたウインナー数本の外皮とご飯のかけらがお皿に乗っていました。
嫌な予感がした家族が、ヘルパーさんの事務所の連絡日誌を見ると、12時30分〜13時30分までお仕事をして、おかずにはウインナーと野菜のソテーと書いてありました。
時計を見ると、12時50分でした。
日誌には13時30分までお仕事をしたと未来の事が書いてありました。
野菜の使われていない野菜とウインナーのソテーも…。

おばあちゃんはお土産のカキフライを『美味しいね!美味しいねっ!』と何度も言いながら、頬張りました。
こんな美味しいもの初めて食べたと言って。
何度も『ありがとう』と繰り返しながら。

家族はまた胸がつまりました。

おばあちゃんの生きている世界には『ありがとう』という言葉が溢れ、一日中笑顔が絶えないのです。
信じ合う人間と、相手を気遣う思いやりに満ちて、誰もが優しい良い人なのです。
そして、どんなに酷い心無い扱いをされても、おばあちゃんの世界には無い、恨みや憎しみで悩まされる事もありません。
そもそも疑う事も忘れてしまったのだから。

『どうもありがとうね。気をつけてね〜!』と、ベッドに腰掛けて、おばあちゃんは家族を見送りながら、背中に向かって言いました。

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